フェリーと低気圧

  あれは昭和58年の春でした。春合宿の打ち上げに合流した私は、その後後輩と共に屋久島、種子島へツアーに行きました。乗船時間は4時間弱で結構大きいフェリーなのですが、車はほとんど乗っておらず、専ら島民の足としての客船状態でした。大きいと言っても太平洋に乗り出すわけですから結構揺れます。私と後輩の一人は船に強いのですが、もう一人は船酔い状態がひどく、島に着いた日は走行不能で、フェリー乗り場の海岸にテントを張ってすごしていました。

 さて、屋久島から種子島に渡って鹿児島に帰るフェリーでの出来事です。その日はあいにく低気圧が接近していて海は荒れ始めておりフェリーの出航が危ぶまれたようですが、色々あって、少し遅れて出航することとなりました。乗船が始まって自転車を載せ、2等船室へ行ったのですが、乗客の皆さんは既に床に腹ばいになって寝ています。なんでかな〜と思いながらおもむろに酒を出して飲み始めましたら、船が防波堤を越えたあたりから揺れる揺れる揺れる!。もう、どっぷんどっぷん状態で座っていても、ずずず〜っと動いてしまいます。
 後輩の一人はすぐに船酔い状態で寝っころがっていましたが、2人は酔いも回って酒盛り状態です。「少ないお酒で効率良く酔えるね」なんてバカなことしゃべってましたが、どちらが言うともなくお腹がすいてきたので、甲板に設置してあるうどん屋に食べに行こうと言い出しました。手すりにつかまらないとまともに歩けないくらいに揺れているので、甲板のうどん屋が開いているはずはないのですが、酔った人間には常識が通用しません。
 デッキへの出口にたどり着くと扉は案の定、施錠されていましたが一箇所だけ開く所がありました。そこから甲板に出ましたところ、外は波しぶきでびちょびちょ状態、海は投げ出されたらまず助からないような荒れ模様です。それでも手すりを伝ってうどん屋まで行くも、お約束どおり閉店。あまりにゆれが激しくて戻れずにその場にいましたら、霧雨の向こうに断崖が見えてびっくりしました。そうです佐多岬が見えていたのでした。その後、鹿児島湾に入ると嘘の様に波が静まり、いつのまにかうどん屋も開店して賑わってました。
 今思い出してもあの暴風雨の中で、よく投げ出されなかったものだと思います。でも、霧雨の向こうに見えた佐多岬は映画の中のワンシーンのように幻想的でした。

 

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